わたしとテレビドラマについて
ドラマ、そう、テレビドラマは、いいものです。
わたしの前には、時々、ドラマの好きな人が現れて、テレビドラマ談義をします。
談義に花を咲かせる、という感じです。
その楽しい時間は、美味しくてたまらない時間に似ています。
うまくは言えないけど、とても良い、楽しく味わい!?のある時間です。
楽しかったドラマ談義
様々なめぐり会わせで、今までにドラマ談義に花を咲かせる人達にも会えて、記憶に残るドラマもたくさんできました。
特に、語り合って印象に残っている人は、勤めていた会社の同期の二人と、わたしが秘書をしていた上司です。
今は、遠く離れているので、その人達とはドラマ談義はできないのですが、今でも新しくドラマが始まるたびに、その人達のことを思い出します。
その時々にめぐり会った人たちが、このドラマをどうみているかな、と想像してみたり、ちょっとしたご意見が聞こえてくるような時もあります。
特に、秘書をしていた上司は、元テレビドラマのプロデューサーでした。管理職につかれた時に、わたしが秘書をしていたので、その時はドラマの現場ではなかったのですが。
上司にお会いする随分前にみたドラマでわたしが記憶日常深い大切なドラマが、後々、話してみるとその上司がプロデューサーだったことがありました。
その上司とは新しいドラマのクールごとに、ドラマ談義に花を咲かせました。
今思い出しても、楽しい気持ちになります。
1人ドラマ談義してみたいと思います
さて、その時のこと、そして、今までドラマ談義をした人達へのオマージュとして、ここで1人、ドラマ談義をしてみたいと思います。
2019年10月から始まったドラマ。
そのいくつかを1人ドラマ談義です。
ここで、書いていくうちに、みなさまに見えないけれど確実に存在しているドラマ好きエネルギーが、伝わっていけばいいなと思っています。
わたしの特殊な能力?について
幼少の頃、サスペンスドラマを家族と見ていて、よく、始まってすぐに、『この人、犯人』と、テレビ画面の俳優さんを指で表していました。
自分も覚えていますし、一緒に見ていた家族からも、思い出話として聞いたことがあります。
それは、見えない犯人エネルギーを感じたのか、あるいは、単に直観だったのか。
でも、家族の一人が、大人になったわたしに言っていました。
『その段階で分かるのは、やはり、おかしいでしょ』と。
そして、『それは、特殊な能力では』ないかと。
それを能力と言ったのは、サスペンスに限ったことではなくて、時に、恋愛ドラマからコメディドラマまでを、初めの段階で、『この人、可哀想』とか『この人、すぐに、いなくなる』とか、わたしが分かってしまうからでした。
そして、わたしは、子どもの頃に、そうして感じたことを暮らしの中でつい言葉にしてしまうことがよくありました。
しかも、テレビドラマではなくて、実ドラマで、です。
ご近所のトラブルとか、お葬式とか、離婚とか、不倫とか!?良いことも、少しはありましたけど。
大抵の世の中の実ドラマは、幸せなこと案外、少ないものなのですね。
わたしがごく普通のことを話す如くに口にしてしまったことによって、周りの人がどれだけ驚きわたしの口を押えたくなったか、今では何となく想像できます。
ゆえに、家族はわたしの言い当ててしまうことを『それは、能力』と言っていたのでしょう。
楽しく、美味しく、豊かに、祈りを込めて
話が少しそれましたが、ここでは、『ドラマを談義』をしてゆきます。
わたしが、楽しく、美味しい時間を過ごすことができたドラマ談義仲間のことを思い出しながら。
お昼休憩にお弁当を並べてドラマの話したひととき、
仕事の合間に上司にお茶を入れて、夕暮れ時に今夜のドラマの展開を話したあの時間、
仕事が終わって職場から自転車をとりに駐輪場に歩いて、同期とそこで立ち話して、ドラマの俳優さんのことを語り合った。
あたたかな記憶です。
思えば、ずっと、見ているテレビドラマ。
楽しく、いとおしいく、そして語ることで、わたしのドラマを見ていた時間を自分自身の記憶の肌ざわりとして、残していこうと思います。
ドラマは、ドラマでしかないかもしれないけれど。
ドラマを見なくても生きてはいけますが。
でも、そこには、実ドラマでは体験できない、楽しさと美味しさがあります。
ドラマには、談義に花を咲かせる価値のあるものという、祈りをこめて、書いてゆきます。