この本とは、大型書店の本棚で再会した。
最近は、インターネットで本を検索することが多くなっていて、この本とも、初めはそういった出会いだった。その時どのように検索をして、知り合ったのかは、覚えていない。
東京駅で電車を降りて、そのまま、きれいな明るい地下道を歩いていくこの大型書店は、好きな書店のひとつ。
エスカレーターで、上の階に上がる時、ひとりになれる、その数十秒が良い。
ひさしぶりに大型書店で本を探すので、まずは書評本が並んでいる棚に行った。
書評本は好きで、書店で本を選ぶ時には、とてもありがたい存在。
この日は、「暗がりで本を読む」と書棚で再会をして、他に二冊ほど書評本をすこし拝読させていただいた。
暗がりで本を読む・・・それは、視力のためには良くないですね。
でも、この題名は素晴らしいと思った。自らのあらゆる読書の記憶がよみがえってきて、本棚の前で眩みそうになった。子どもの頃から、そして大人になった今も自分がなんて多くの時間を暗がりで本を読んできたことかと。その多くのシーンが頭の中を廻って、眩んだのだ。
本の帯の表面に、「はかりきれないものを、本は包んでやってくる。」と記されていて、きっとその言葉にも、眩んでしまったのだ。
確かに、本は、はかりきれないし、そのはかりきれないものに読んでいるわたしも本とともに包まれていく。包まていく渦に眩んでしまったのだろう。
天井の高い書店の高い背丈の書棚と書棚の間にいるだけで、すでに本に包まれている気分であり、それに加えて、過去の本との時間に覆われていくことは、記憶の暗がりの中に身をおいているのかもしれない。
この本で紹介してある数々の本は、読んだことのあるものであったり、紹介されている著者を別の本を読み知っていることが多く、著者の徳永圭子さんには親しみを覚えました。
そして、こういう方とは、きっと本に包まれて、遠くあちら側の世界に行き、文字の間を
ぽつりぽつり歩いている時に段落の合間で、すれ違っているのかもしれない。
あるいは、立ち止まって振り返り、その後ろ姿を見ているのかもしれない。
暗がりで本を読むことは、目を大切に視力をおとさないめには、やめておくべきだとは思う。でも、この題名に魅かれる人は、遠いあちら側の世界に行くことを決してやめることのない人達だと思う。
文字と文字の合間で、そして、ため息のつくような行間で、今夕もその世界に包まれていたい。
理里有楽

私には、最近買ってよかったと思えるものが2つあります。
1つは、ヒゲトリマーです。伸びすぎていたヒゲに待ったをかけてくれたのは、古くからの友人でした。「整えると、もっとカッコいいね」
思わず、その場でポチっとしました。
そして1つは、お酒を飲んでも気持ち悪くならない、二日酔いにならなくなる方法を教えてくれた商材です。
友人たちと会うと、つい飲み過ぎてしまう。その時は面白いのですが、翌日のつらさといったら、、なんどお酒を止めようと思ったことか分かりません。しかし、止められないのが私の弱いところ。
飲みたいけれど、気持ち悪いのは嫌だ。そんなジレンマに陥っていた時に出会ったのが、その商材です。
詳しくは、下記にまとめてみましたので、関心のある方は、見てみてください。