桜井識子さんの『神仏のご縁をもらうコツ』には、空海さんと桜井識子さんの対話がたくさん、ご紹介されています。
そう、あの弘法大師の空海さんです。
お坊さんの中で『空海さんは好き』という話題を、わたしは今まで何度か聞いたことがあります。
みなさん、空海さんには特別な想いがあるのでしょう。
空海さんとお話ししてみましたという方、あるいは、イメージでお伝えのようなものを感じたという他の本も読んだことがあります。
現代にもずっと、ある種ファンのような方々がいらっしゃるということは、空海さんは、魅力的な方なのでしょう。
ちなみに、わたしは、ほんの少しだけ、空海さんの声が聞こえてきたことがあります。空海さんのお声を感じたことがあるのです。
それは、空海さん由来の真言宗の寺院をおまいりした時です。
わたしは魅力的というよりも、大変そうだなという印象でした。
うまくは言えませんが、大きな存在として担っている役割の大変さを感じました。
神仏のご縁をもらうコツの構成
さて、桜井さんの『神仏のご縁をもらうコツ』について。
第1章 空海さんという仏様
第2章 高野山の聖地 奥之院
第3章 高野山を体験する
第4章 空海さんと神様
第5章 高野山を楽しむ
第6章 一の橋から奥之院への参道
第7章 空海さんに聞いた見えない世界の真実
この本は空海さんとの対話だけでなく、高野山のガイド本にもなっています。
宿泊先それぞれの利点や特色も丁寧に紹介されています。宿泊するところの様子、食事やお風呂事情、そういうことは、実際、行く人にとってはとても大切なことです、ご紹介いただくことで助かりますね。
般若心経について
この本でわたしが、印象深く読んだのは、第7章の『空海さんに聞いた見えない世界の真実』という章です。
それは、やはり、信じるか信じないかという世界観のお話しです。
一般的に見えないと言われている世界を感じている人たちにとっては、自分が見えていること感じていることを今一度、角度を変えて見つめることができるかと思います。
神仏さまとつながるということを切に願っている人たちにとっても、おまいりをするということを今一度、考えてみるよい機会になると思います。
この章では、『般若心経』のことについての解説があります。
桜井さんが、「般若心経について教えて下さい」と尋ねたとき、空海さんのお答えは「癒しの経である」というものでした。
わたしは、そういう印象を持っていなかったので意外でした、その詳細が記されています。
それから、神社で唯一、唱えてよいお経であると説明されています。
それは、ほかの人の本やWEBでも読んだことがありますし、少し調べてみても世間的に様々なご意見がありました。
わたしは、お寺では般若心経を唱えたことがありますが、神社でお唱えしたことはありませんでした。
それは、まず、わたしがおまいりする神社は、大抵、後ろに次におまいりする方がお待ちなので、ゆっくりとおまいりをしていないこともあります。
お賽銭箱の前から少し脇に避けたならば、唱えられなくもないかもしれませんが、それもなんとなく、気がすすみませんでした。
それと、これは、感じるということなのですが、わたしに般若心経を唱えてみては? というイメージが神様から伝わってきたことがありませんでした。
感じるということは、自分がそう感じてしまうことなので、自分の感じることを優先すべきことだと思っていたからです。
しかし、数日前にこの本を読み返してみて、とある神社におまいりをする機会があったので般若心経をお唱えしてみました。
後ろに次におまいりをする方がお待ちではなかったということもありました。
そして、ふわっと、お祀りされている神様から『どうぞ・・・』という空気を感じたからです。
もう10年くらい前からおまいりをしている神社ですが、その時はじめて『般若心経』をお唱えしました。
こうした流れになったのも桜井さんのおかげです。
その神社の帰りに、初めておまいりする神社でも、般若心経をお唱えしました。一日に二度、お唱えしたのです。
こちらでも、あたたかな空気を感じて、ありがたい心持ちになりました。少しだけ、見えてきたことは、あたたかさと、星空のように透きとおった輝きです。
見えてきたことを、今のところ、そのまま受けとめているので、その事がなにを意味するかは、今のところ分かってはいません。
これからも、こちらの神社でおまいりを続けてゆきますし、般若心経をお唱えしてゆくので、また、なにかご報告できればと思います。
ペットとの深い関わり
また、わたしにとって特別なめぐりあわせとなった章があります。
第7章の終わりの『あとがきにかえて』
タイトルは、『ペットが最期に思うこと』
このタイトルを読んだだけで、もう、しんと胸にせまるものがあります。
この章を、はじめて読んだとき、わたしは、いつも一緒に暮らしている小鳥のことを思いながら読みました。
いつか、その日がくることは、大切な家族と暮らしている方の誰もが頭の中で過ることはあることと思います。
また『ペット』という表現については、気になってしまう人もいることでしょう、わたしもそうでした。
わたしが接した本の中には、『コンパニオン・アニマル』とか、『パートナー』あるいは、『伴侶動物』と表現されていたことを思い出します。
(参考 : 『ペットは生まれ変わって再びあなたのもとにやってくる・杉真理子著』)
それでも桜井さんがあえてペットという表現をされたのは、野生の動物とは違い、人にとっての特別な癒しと学びを与えてくれる存在だから。
ペットはみんな、人間のためにそばにいてくれる、ありがたい存在たちです。
そして、わたしにも、このあとがきに記された『ペットの最期』が、おとずれました。
最期を迎える前と、最期を迎えた後、それぞれ、この桜井さんのあとがきを読んで感じることはまったく異なりました。
文字をたどりながら、見えてくる風景が違いました。
最期を迎える前は、遠くの風景を見ている意識で文字をたどりましたが、最期を迎えた後では、何かもっとできることがあったのではないかと、ただただ後悔をしそうな自分をなんとか、桜井さんの文章をたどりながら、落ち着かせていきました。
桜井さんの文章から見えてくる世界に救われました。
大切にしている存在だからこその、特別な風景。特別なつながり、特別なふれ合いでした。
いろんな動物たちとのかかわり方、関係性、つながり方、暮らし、語らい、そして、ともに生きるということ、どちらかが先に亡くなるということ。
動物たちは、それぞれ、さまざまな表現で、わたし達に誠実に応えてくれています。
わたし達に、言葉をこえて、応えてくれています。
魂という世界観、そして、見えない世界を感じていくことが、動物たちと言語をこえて、互いをいつくしむ機会を与えくれています。
一緒に暮らしている大切な動物たち、あるは、あなたのお庭やテラス、日々歩いている並木や公園の草木や花たち、そこに集まる虫たちに。
言葉では確認できないけれど、そうした存在とつながっていくことは、神仏さまとつながっていくことととても似ているとわたしは感じています。
そして、そこで得たものは、暮らしの中で接している人間とのつながりをよりよいものにしていく力になります。
桜井さんの『あとがきにかえて、ペットの最期に思うこと』は、わたし達の暮らしの中で、いざという時に、落ち着いて自分の心に素直でいられる心がけが書かれています。
わたしは、このあとがきに、あの日、救われたことを今も思い出します。あの日、小鳥のなきがらと過ごし、このあとがきを読んだ時のことは、これからも忘れません。
あの時、見えた風景はあまりにせつなく、あまりにいとおしいく、その思いが記憶を超えていくようでした。
神仏さまとのご縁、空海さんの魅力、そして、ペットとの深い関わり、わたしには記憶に残る一冊です
