好きなモノについて、何故好きなのか聞いてこないでほしい

昨日の映画、すごくよかったよ!

 

 

へぇ、どう良かったの?

 

 

あれがこうで、これがああで、こうだったんだ!

 

 

 

 

へぇ。

 

 

 

まあね、私の表現力が低い、ということもある。

 

だけどね、関心ないなら聞くな!

てか、そもそも関心あっても聞かないで欲しい、という話をします。

 

 

なぜ、聞いてほしくないのか。

 

それは、好きという感情は自分の中にあるだけのものだから。

 

それを人と共有するなんて不可能だし、まず共有することを僕は望んでないんだな。

 

良いものは良い。なんかあんまりなのは、あんまり。

それは僕の感性であって、あなたに理解を求めている訳ではない。自由にさせてほしい。

 

好きなものに、理由はないさ!

嫌いなものにも、理由はないさ!

 

語るとね、世界が狭くなるんだよ。

 

言葉にすると、せっかくの大きな感情が、ちっぽけなものになる。

言葉って、とても便利なんだけど、言葉にしてしまうと、その表現によって感情が固定化されてしまうんだな。

 

本来、感情って、言葉という枠組みの中に入りきようなものではないでしょ。

自分でも分からないくらい色んなものが入り混じってる。

 

まぁでも、言語化することによって、再確認できるという良さはあるかもね。

でもそれは、1人でする方がいい作業ではないかな。

 

さて大きくて自由で複雑な感情をそのまま言葉にできれば、それは素晴らしいことなんだろうけれど、問題が一つ。

 

それは、聞き手の聞き方が分からんということですね。

ちゃんと話しても、聞き手の聞き方によって、どんな話になってしまうか、分からんのです。

 

 

人って、もちろんそれぞれ独自の感性を持ってるから、話の中のどこに反応するかというのも、人それぞれなんだよね。

例えば同じ映画見ても、感想はそれぞれだし、感動するところも違う。

 

感性も価値観もバックボーンも違うから当たり前なんだけど、その感動って自分だけのものなんだよね。

 

だからさ、もう自分の感じたことは、自分の中だけでしまっておけばよくないか。

お互いの感想を言い合ったら、結局感性の押し付け合いになってしまうんじゃない。

 

それにね、自分の感性を話して、それがうまく伝わらないもどかしさは、もういいかな、と思う。

 

 

とかなんとか言いながら、私の個人主義とかいって、ブログ書いてるからウケるよね。

 

だから私は、コメントオフにしてます。

私の話をどう捉えようが自由だけれど、あなたの意見は求めてません。

 

誰になんて言われようが、好きなモノは好きだし、嫌いなモノは嫌い。

そんだけ!