自然の中で暮らしたいけれど、田舎は嫌いな話

木漏れ日の中で小鳥の囀りで目を覚まし、珈琲豆を挽きながらぼーっとする。暖かい日の光の下でゆったりと時を過ごし、夕暮れの空を眺めながら食事をして、火をくべて暖をとりながらお酒を飲み、星空を眺めながら寝る、そんな生活がしたい。

 

そうして思って長いけれど、未だに私は東京にいる。

 

 

それは何故か。

 

それはね、田舎が嫌いだからよ。

嫌いっていうとちょっと違うか、田舎の人間関係が苦手って感じかな。

 

といっても、田舎に住んだことないんだけどね!!

 

人とあいさつをするのはいい。

世間話は、苦痛。

真剣な話は拷問レベル。

 

だってさ、価値観が違い過ぎるでしょ。

私の勝手な感覚だけれど、今の世の中ほど、人々の価値観の格差が開いたことは、かつてないんじゃないかと思う。

格差ではないか、別に何が高いでも低いでもないから。でも、もはや土台のような共通の価値観というのは、崩壊してますよね。

それはインターネットの影響も大きいけれど、最たる要因は、やっぱり今が世界の岐路なんだろう。

 

世界が二極化されるとかいわれてるけど、それはもう起こってる。

二極化かどうかしらんけど、もう価値観が違い過ぎて、共に過ごせない。

それはお互いさまで、向こうも僕らと過ごしたいとは思わんと思う。

 

新しい発想、というか、開けた発想をする人は、どんどん今までの概念の殻を脱ぎ棄ててる。

世間的な価値観を信じている人は、どんどん盲目的信者になっていってる。

 

これが怖いって言われたら怖がって、これが良いっていわれたら好きになって、よくもまぁそんな右へ左へ。

まあ何かを信じるっていうのは、とても楽なことなんです。

自分で判断しなくても、決めてくれるわけですから。

 

でもさ、自分で判断してないことを、よくもまぁあれだけ強固に信じられるよね。。。

 

かといって、開けた新しい発想をする人が好ましいかといわれれると、そうでもない。

そういう人たちはそういう人たちで、自分が気付いた価値観が絶対だと思ってるから。

それも面倒だよね。

 

人ひとりの理解なんて、たかがしれてるし、それで気付いたと思っちゃうと、そこでおしまいだよね。

世の中って、自分次第で、無限に広がるし、井の中の蛙にもなれる。

 

 

えっと、田舎の話!

 

田舎の人、と一括りにするのはよくないかもしれませんが、私は人付き合いを全くしたいとは思いません。

でも田舎で人付き合いしないで過ごす、というのは限界があるんじゃなかろうかと思っています。

だって、よそ者に関心あるでしょ?

親切にしたいとか思ってくれるでしょ?

 

はい、行きません!!

 

もうね、私に対して距離を詰めてこないでいただきたい。

私は決して距離を詰めたりしないから。

だからお願いだから近づかないで、ということで、私は今でも東京にいます。

 

東京の良いところは、みんな人に無関心なところ!

東京だって田舎者が集まってるだけだけど、人から逃げたくて東京に来てる人も多いよね。

それでいて、ちょっとだけ人恋しいから、なんだか訳の分からない距離感の人が多い。

 

でもね、人と関わらないでいられるところが、とてもいいと思ってます。

 

話が少し戻るけど、

価値観ってのはさ、何を信じるかってことなのさ。

 

例えば、コロナを信じている人にとって、除菌やマスクは大切なわけ。

除菌やマスクしないと、落ち着かないのよ。

それがその人の生き方なんだけど、もうその時点でさようならって言いたい。

 

僕はね、人の価値観を変えたいとは、ひとかけらも思ってません。

正義感の強い人は、ワクチン反対!とか声上げたり、周りの人を説得したりするみたいだけれど、僕はどうぞご自由にって思います。

だって、何を信じるかは、その人の自由だからね。

 

その自由に対して、自分の考えを押し付けるのは、それはただの自分のエゴでしかないでしょ。

たとえば、人がだまされて死んだって、それはだまされた人が信じてしまった結果だから、仕方がないよねとしか思いません。

これから先、世の中が人口削減にかかって、人がどんどん騙されて死んでいっても、それはそれを信じたい人の末路だから、どうぞご勝手にと思います。

 

だって、その人たちにとっては、それが幸せなことだから。

信じている通りに生きることができるって、その人の幸せですよ。

騙されてるんだ!とか言いたい人は言えばいいけど、それはエゴです。あなたの勝手な。

どうしてもそう叫びたいんだったら、その向こう側にいる人の【自分を変えなければいけない苦痛と恐怖と不幸】を、全部背負ってあげるくらいの気構えでいないとね。

 

騙す人はよくないと思うけど、騙されるだけ盲目的に、脳みそや直観が動いてないのはその人自身ですからね。それはその人の選択です。

 

人はみんな、自分の信じたい世界を生きてます。

それぞれの価値観を持って、価値観の近しい人と生活を共にしてるでしょう。

 

自分が信じているものが、仮に嘘だとしても、信じている人にとって真実なんだったら、いいじゃない、それで。

宗教も同じよね。

創価も統一教会もキリスト教も仏教も、なんの違いもありません。

 

ある一定の価値観を共有してるだけ。

ただ、勧誘とか、まじでやめて。

勝手に信じるのは好きにすればいいけど、話しかけてくんな。

 

僕はね、正しさって人の数だけあると思ってます。

だって、人ひとりが分かってることなんて、たかが知れてるでしょ。

みんな、大したことない知識と価値観で以て、物事の善し悪しを判断してるけど、人が違えば判断は違うので、正解も違って当然です。

法律とかよく作ったよね。

ご苦労様。

 

また何の話かわかんなくなってきた。YO!

そう!

田舎に住みたくないのは、他人との価値観の共有が難しいと思ってるから。

 

私が特別とか言ってるわけじゃなくて、そういう人、意外と多いと思うよ。

 

人付き合いって、疲れるでしょ。

疲れない人とだけ、生きればよくないか?

 

社会、とか、組織、とか、そういうは、もういいんじゃないかな。

 

この世の中にある殆どの仕事は、くだらないと思ってます。はい。

だから、もう、全部やめちゃえばいいんじゃないかな。

 

それで、みんな他人に関与せず、自由に過ごそうよ。

重要なんは、他人に関与しないことよ!

みんな、自分勝手な価値観で生きてるんだから、その価値観の押し付け合いとか、なしで!

間違っても近づいてこないように。

 

でも、タイミングタイミングでは助け合えばいいとは思ってます。

 

難しいね、人間関係。

 

まあ、みんなお互いを気にしない田舎があれば、行きます!

別荘地とかはいいかもね。

最近は、そんな風に思ってます。って話。