みなさんも、人生の中で一度くらいは考えたことがあるでしょう。
何のために生きているのか。
自分で漠然と思っても、人と話題にしたことはないはずです。
僕たちって、ナンノタメニイキテイルンダロウネ。
そんなことを口走った矢先には、
きざな男だと思われるか、めんどくさいやつだと思われるでしょう。
さて、それでも今日は敢えて、そのナンノタメニイキテイルノカについて、語ろうと思う。
古来より、先人たちはこの素朴な疑問について考えてきました。
Google先生で調べれば、いろんな意見が出てくることでしょう。
このブログでは、誰が何と言っていたかは記しません。だって引用するの面倒だもんね!
興味のある方は、ご自身でお調べください。
さっそくですが。
私たちは何のために生きているのか。
私が辿り着いた答えを発表いたします。
それは、自分とは何かを知るため。です。
私たちは、自分自身を知るために生きています。
でーん!どうですか、みなさん。
腑に落ちました?
まぁ、これだけじゃあなかなか分からないですよね。
この話題を進めるためには、ある一つの事実をみなさまにお伝えしなくてはなりません。
それは、この世界の成り立ちについてです。
どうですか、なんか怪しい感じになってきましたね!笑
でもね、この世界には、当然始まりがあります。
ビックバンとか言われてますが、みなさんはそのことについて考えたことはありますか。
ここでは、私の持論を展開させていただきます。
~ この世界の成り立ちについて by BardRadio ~
この世界の始まりにあったのは、すべての可能性を秘めた何もない空間です。
この空間を言葉で表すとすれば、無(む)ではなく空(くう)です。
さっそく出ました!仏教用語ですねぇ。
その空(くう)に、ある時一つの意識が生まれました。
この意識が生まれた瞬間が、この世の中が生まれた瞬間、成り立ちです。
~ 完 ~
終わっちゃった!
では続けて、この世界がどうやって出来ていったのか!
いってみよう!
~ この世界がどうやって出来ていったのか by BardRadio ~
空(くう)の中に生まれた意識。
その意識は、自分とは何なのか、疑問に思いました。
意識にあるのは、自分を知りたいという強い探求心です。
しかし、自分の意識しかない世界においては、自分を知ることはできません。
どうやって自分を知っていくのか。
自分を知るために、まずは自分自身を分けてみることにしました。
比較したり、客観視しようとしたんですね。
意識は、自分を知るため、どんどんと自分を分けていきます。
分かれていった意識は、それぞれに独立した意識を持つようになりました。
それぞれの意識は、また、それぞれ自分を知ろうとします。
それぞれの経験が、おおもとの意識の経験となり、自分自身の探求へと続いているのです。
~ 完 ~
簡単に説明するとこんな感じでしょうか。
どういうことかと言いますと、
私たちもまた、それぞれが、おおもとの意識から分かれた存在なんですね。
ちなみに、人間以外の存在にもすべて意識はありますよ。
感情はない(ものすごーーーく薄い)ものも多いでしょうが、宇宙にも、惑星にも、地球にも、動物にも、植物にも、鉱物にも、人工的に作ったものにも、意識はあります。
意識=心ではないですよ。
意識は、エネルギーそのものです。
おおもとの意識については、様々な呼び方があります。
神とか、ワンネスとか、ハイヤーセルフとか、etc…
ぜーんぶ、同じ意識を指した言葉です。
なんなら、私たちもその意識(が分かれた存在)ですから、私たちもまた、神だったりワンネスだったりハイヤーセルフであったりするわけです。
ちなみに、宗教は概念ですからね。
特別な存在なんていません。みんな一緒です。
あれ、なんの話だっけ?
題名を見に行きましてっと。
そもそも私たちは、何のために生きているのか。
ですよ、みなさん!
何のために生きているのかといえば、自分を知るために生きているのです。
そして、様々な経験をするために生きています。
おおもとの意識からしてみれば、楽しい経験も悲しい経験も辛い経験も、どんな経験もすべて等しく貴重な体験です。
その経験を通して、自分という存在を知ろうとしてるんですね。
何か事が起こると、私たちは様々なことを感じ、考え、行動します。
それは私たちそれぞれの意識の自由選択ですし、個性です。
さまざまな出来事を通じて、私たちは、自分は何に喜び、何に悲しみ、何に苦しみ、何に楽しむのかを知っていきます。
そうして一個人の意識が自分を知った経験が、おおもとへと還っていくのです。
どうですか?すっきりしました?
何のために生きているのかについて、人によっては、
常に学び続けるために、とか、生きることに意味はない、とか、愛を見つけるために生きている、とか、みんな色んな意見があると思いますけれど、私の持論は、こんな感じ!
ちなみに、他人は、自分自身を知るために居てくれています。
他人と接して、好きだと思ったり、嫌いだと思ったり、面白いと思ったり、つまらないと思ったり、etc..
そうして様々に自分の好みを知ることが出来ていますよね。
おおもとの意識が自分自身を分けて、自分を知ろうとしたように、私たちは、他人を通して、自分自身を知っていくのです。
だから、好きな人も、嫌いな人も、みんな等しく、自分にとって大切な人ですよ!
他人は、自分自身を知るために居てくれる。
良いこと言っちゃったなぁ!