人が合わせるのではなく、自分が合わせる

この世の中には、多くの他人が生きています。

日々生活していくということは、こうした様々な他人と接していく、ということでもあります。

さて、皆さまが日々接している他人の中には、自分と話しが合うと思える人がいれば、話しが通じないと感じる人もいることでしょう。

話して楽しいと感じる人がいれば、話してもつまらないと思う人もいるでしょう。

話して楽しい人と、話してつまらない人、この違いは何だと思いますか。

考え方や価値観の違いでしょうか。知識の有無でしょうか。生理的な好き嫌いでしょうか。

私たちが他人と接するとき、とかく相手のことを勝手に評価・批判してしまうことがある。

この人は頭が悪いから、この人は話しが下手だから、この人とは話しが合わないから、と、相手を一方的に蔑んではいませんか。

この世の中というのは、ありとあらゆる人が生きているから面白いのです。

そうした世の中において、自分の小さな考えや価値観で相手の価値を決め付ける行為は、自分の世界の幅を狭め、自分の成長を止まらせることになるでしょう。

人の価値を、推し量ろうなどと考えることは傲慢である。

どんな人であっても、与えられたら人生をその人なりに感じて一生懸命に生きています。その生きてきた経験は、その人の中で輝いています。

もしも、人と話しが合わないと感じているのなら、それは自分がいたらないためなのだと思いましょう。

優れた人というのは、どんな人にでも話しを合わせることができます。

それは、決して人に媚びている訳ではなく、相手のことを尊重し、思いやることができる、ということです。

自分が賢い、自分が偉いと思い違うことがないように。

どんな人とでも楽しく会話することにより、よりよい毎日となることでしょう。

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